◆鑁阿寺(ばんなじ・足利氏宅跡)(U)◆ 源義兼は鎌倉幕府を開いた源頼朝の従兄弟にあたり、足利幕府の創立に大いに力を尽くたと云われます。晩年は足利氏の氏寺として尽力したと伝わります。足利氏宅跡は正方形の宅域で東西南北に出入口がありました。

心字池から離れて東門へ向うと庭園の形が大きく変化して美しく映えていました。
手入れの行き届いた美しい庭園


東門…山門を除いて三方はこのような形になっています。

足利氏宅跡の広さは約200m四方の広さで、周囲を土塁とお濠によって囲まれています。
境内の周囲を取り巻いている土塁と堀


境内の周囲を取り巻いている土塁と堀

宝庫…
現在の建物は1752年に再建され、建築様式が校倉風に造られ、足利氏及び鑁阿寺の宝物の収蔵庫です。

境内の北門から見た大御堂(大日堂)


境内の北部にある宝庫(校倉)

蛭子堂…
足利義兼の妻の北条時子を祀ってあります。

宝庫の隣にある蛭子堂


本殿の裏には、当山開基足利義兼の父である義康と、祖父の義国の廟所があります。

廟所は本殿に源氏の祖を祀り、拝殿には初代足利尊氏から15代義昭までの足利幕府将軍の木像が安置されています。
境内の北東にある御霊屋


鑁阿寺の西門は四脚門で質実剛健のイメージの鎌倉時代の門構えで、1432年に補修をしてあります。

ほぼ一周しましたが境内の一角は子供たちの遊び場になっていました。
斜めから見た大御堂(大日堂)


大御堂の隣にある中御堂(不動堂)

現在の経蔵は1407年に関東管領足利満兼が再建したものです。
堂内には、国指定重要文化財の八角の輪蔵があり、経典2000巻余を蔵しているそうです。

中御堂の東側に位置する経蔵(一切経堂)


多宝塔としては結構大きな建物です。

 
最後の15代将軍義昭公は、室町幕府を開いた足利尊氏の、この父祖の地、足利へどれだけ足を運んだか…。その生涯を鎌倉、京都、そして戦場と過ごし、息絶えるまで心休まる日はあっただろうか?


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