■ 遠州の要、掛川城へ歴訪 ■
宿泊したホテルは機能性に富んで妻も満足。 出発前にホテルを撮影し、ナビに掛川城、川根温泉をセットした。 8時に出発してルートは国道1号線がメインルートになった。

国道1号線で市内を抜けると都市間はバイパス道が多くなった。 約30q弱の距離で時間にして1時間。 城郭近くの駐車場に到着したのは9時。 後続に親子連れの車が入り、私達が準備している間に先に向かった。


駐車場は天守に近いが、二の丸、三の丸、大手門の歴史も楽しむため遠回りを選択。 最初に訪れたのは竹之丸と云う場所で雰囲気は日本建築を楽しめる場所でした。

浜松駅前のホテル 竹の丸地域
1590年(天正18年)豊臣秀吉の配下、山内一豊が城主になり城郭の拡張をし、竹の丸を造成して重臣たちの屋敷地に割り当てた。 明治以降、旧家の問屋が自宅として買い入れ、建築した建物です。 門構えの奥に日本建築の美を感じ取れる建物があった。

竹の丸地域
 掛川城の廓のひとつ
近代和風建築の門 近代和風建築の正面

撮影して中に入ると女性が出てきた。 聞くと、ここの日本庭園を二階から見ると美しいと教えてくれた。 この時間帯にお茶は欲しくない! …庭園の入口で中を見せてもらった。 中央にハート形のマークの庭園です。 二階の茶席から見るとゆったりとした時間を過ごせそうだ! しかし私達は観光が始まったばかりで長居はしたくなかった。


竹の丸地域
近代和風建築の庭園

ハート形のマークのある芝生
落ち着きのある庭園

古い町並みの塀が続く

古い町並みを再び歩きます。 左手に白塀が続き、やがて立派な門構えの所に来た。 大日本報徳社の看板があり正面から撮影して中に入ると正面に立派な屋敷がある。 ここは二宮尊徳の報徳の教えを広めるための全国組織の本社とある。 正面の屋敷は大講堂で大日本報徳社の象徴的な建物で、明治期に建てられ修復された建物です。 屋敷内の建物は明治期に建てられた建物が多い。

大日本報徳社の門柱は珍しい形の門柱 大講堂(国重文)

■冀北(きほく)学舎…
岡田良一郎氏が掛川市の自宅に私塾として開校した。その後明治32年に現在地に移築された。 私塾は現在の掛川西高校の前身という。 この中にいると明治期の学び舎にタイムトラベルした気持ちになった。 丁度私達が駐車した駐車場の隣が掛川西高校だった。

■仰徳学寮、仰徳記念館…
明治17年に東京霞が関に有栖川宮邸として建築され、昭和期に宮内庁から下腸され、一緒に移築された。 明治期の建築の面影が色濃く残っている。

冀北(きほく)学舎 仰徳学寮

■淡山翁記念報徳図書館…
大日本報徳社の社長の岡田氏(淡山)の功績を記念して建てられた図書館で、掛川市最古の洋風建築です。 その図書館と仰徳記念館の間に二宮尊徳像が建立されていた。

この付近は掛川城公園エリアで大日本報徳社もこのエリア内にある。 大日本報徳社には蓮池公園も隣接し蓮池の一部は大日本報徳社地内に続いている。 大日本報徳社から大手門に向かう途中に蓮池があり、カメラマンが工夫して蓮池の映像を撮影していた。

仰徳記念館

淡山翁記念報徳図書館
二宮尊徳像

蓮池公園

蓮池で撮影していた人に大手門方向を確認すると丁寧に教えてくれた。 本人と逆向きに訪れたようです。 私からは竹之丸、大日本報徳社、掛川市ステンドグラス美術館への道順を教えた。 お互い笑顔で別れた。

蓮池から大手門に向かって歩く。 旅をして知らない土地を歩くことは、その地の歴史を垣間見ることができる。 暫くして小川に架かる大手橋前に到着した。

逆川に架かる大手橋上で何気なく振り返ると何と掛川城天守が良く見える。 早速、ズームで良い構図を探し何枚か撮影。 逆川は掛川城の濠の役目をしてる。

大手橋上から見る逆川 大手橋上から見る掛川城天守閣

■大手門、大手門番所…
逆川の大手橋上から大手門も良く見える。 駐車場から丁度、掛川城の反対側に到着。 直接掛川城に向かうと見落としたことになる。 安堵の思いで大手門前に到着。 掛川城最大の楼門です。 嘉永の地震で倒壊し1858年(安政5年)に再建され、明治になり民間に払い下げられたが火災で焼失した。 平成7年に現在地に復元された。 門をくぐると大手門番所があるが、番所は移築されていた場所から現在地に復元されている。

大手門 大手門番所

大手門を過ぎて逆川に沿って本丸に向かった。 本丸手前で逆川を渡河する橋が今日だけの工事中で臨時歩道を通過して進むと右側に三の丸がある。 現在の三の丸は広場で、催し等で利用されていると思った。 左手に石段が続き、その先に門が見えた。 この門は本丸に通じる重要な門で四足門と云われ、調査では門の痕跡は発見できなかったが、 正保城絵図では記されていることから現在地に復元されている。

橋の工事中

四足門から見える三の丸
四足門

四足門から本丸に向かう

四足門から本丸に向かうと、右手に石垣に囲まれた濠が見える。 この濠は十露盤(そろばん)濠といい本丸を囲む重要な濠です。 名称の理由は不明だが濠の形からそろばんの形に見えるとも云われている。 云われて見れば、そう見える。(笑い!) 内濠には他に三日月濠、松尾池などが見られる。(後述)

十露盤(そろばん)濠の奥に二の丸があり、ここから本丸天守が展望できる。 本丸は高さを生かした急斜面の土塁で、石垣に仇敵する傾斜です。 この先本丸の入口には両側に高石垣があり堅固な防御を形成している。 本丸に入り左手に受付がある。 平日で、10時前だから観光客はまだ少ない。 撮影には絶好のタイミングだが雲量が多く、青空は所々で残念です。

十露盤(そろばん)濠

左側奥に天守受付所
二の丸エリアから展望した天守

受付から天守丸の眺望

さぁ!受付を済ませ天守へ向かいます。 受付から眺望した天守丸は狭間のある白塀に囲まれ雰囲気抜群です。 妻の足が悪いからゆっくりと、そしてチラチラ天守を見ながら撮影しては石段を上がる。 途中で広範囲が見渡せる場所に腰櫓台跡の説明、登城路の調査で発見された玉石側溝の説明がある。 天守は天守丸という曲輪で本丸曲輪の中にある。 戦国時代に山内一豊が城主になった後に、現在の様に分離し防御を強化したという。

本丸から天守の眺望

広範囲が見渡せる腰櫓台跡前
登城路の調査で発見された玉石側溝

外側に白塀が続く

さらに石段を上がり天守入口門がある。 天守丸全体が白塀で囲まれ、ここで記念撮影して映像を増やしていく。 門前から二の丸方向には御殿屋敷が見渡せ、掛川市全体をパノラマのように見渡せた。 天守を下方から撮影。 今日は天守のメンテナンスがおこなわれている。 所々に職人の人が見回っていた。 天守に入るには附け櫓から入城する。

天守丸入口門

城下の眺望


附け櫓
入口門前から見える御殿屋敷

天守閣

戦国時代に東から武田信玄に攻められ、西からは徳川家康に攻められた時期がある。 当時、今川氏真は本拠地の駿府から重臣朝比奈泰朝の掛川城に入城した。 混迷を深める戦国期に徳川家康が掛川城を攻めた時、天守丸の井戸から立ち込めた霧が城を覆い隠し、徳川軍が攻撃できなかったという伝説がある。

天守丸内に霧吹井戸

その天守丸内に霧吹井戸が現存。 以来、掛川城は雲霧城とも云われる。


附け櫓の後方に…

附け櫓に入ると同年代の係員が受付。 三脚を持つ私に三脚の足部を清掃してくれと云う。 清掃した後、係員が日本100名城の話と掛川城の話をしてくれた。(感謝!) 掛川城の構造は三層四階の入母屋造で、二重目の唐破風出窓と慶長時代様式の華頭窓は絵図等の調査に基づいて再現してある。 もう一つ、天守の再建にあたり土佐藩主に移封した山内一豊の高知城天守の建築を参考にした事を教えてくれた。 地元の人との語らいは経緯も楽しい。

掛川城の構造図 山内一豊像
附け櫓から天守一階へ入る。入口で山内一豊像が迎えてくれる。 内部は柱や階段の骨組みが多く、決して広くは感じない。 100名城の紹介コーナーがあるが、こうして拝見すると数多くの名城を歴訪してきたと思う。


鯱の複製


鎧兜
天守最上階から見える御殿屋敷はとても素晴らしい映像が撮れた。 上方から観ると複数の建物が集合している。 それぞれが独立した役目の建物だと思った。
御殿屋敷

天守見学が終わり附け櫓から出て天守丸から出る時に太鼓櫓を眺望できる所で撮影。 太鼓櫓は本丸高石垣上にあり、城下に時を報せる大太鼓が納めてあった櫓です。

現存する唯一の櫓ですが、元々、三の丸にあり高石垣上に移築してある。 当時使われていた大太鼓は、これから見学する御殿屋敷内に展示してある。

ここから広範囲が見渡せる腰櫓台跡がよく視認でき、現在は夜間照明用の設備が設置されている。 夜間に照明が点燈すれば掛川市内の四方から天守が見え、市民に安らぎを与えてくれる。

天守丸を下りて石垣沿いに見学経路があり、後半をお楽しみください!

inserted by FC2 system