■ 徳川家出世城の浜松城 ■

舘山寺のホテルを8時過ぎにチェックアウトして駐車場でナビの設定をする。 今日は浜松城、奥山方広寺、初山宝林寺の順番で設定する。 位置的には行ったり来たりするが浜松城を最初にしたのは観光客が少ない時を選んだ。

市中心部に向かうから混雑するかと思ったが、それほど渋滞は無くスムーズに走行でき、9時前に浜松城公園駐車場に到着。


今日の天気は晴れ間はあるが雲量が多く天気は下り坂に向かう予報だった。 駐車場では車両も少なく出口に近い所に駐車。 係員からパンフレットを貰い簡単な説明をしてくれた。(感謝!)
浜松城公園駐車場

野面積みの石垣が美しい
どっち? 左方向に進む

どっち? 左側を進む

妻と旅を始めて歴史訪問したい浜松城だったが、日本の旅の中で高速道で通過する位置にありきっかけがつかめなかった。 大河ドラマで放送された井伊直虎所縁の年は観光客が多いのではないかと年を越した。 今回その機会ができて念願が叶ったわけです。

駐車場から案内図を頼りに進むが野面積みの石垣が歴史を感じさせて期待感が膨らむ。 公園道が二手に分かれたが陽光が背になるように回り込んで行きます。

陽光で撮影が楽!

天守が見えた!

天守門への石段は狭い!
天守門が見えてきた。そこに向かう石段の幅が狭いのは防御を考慮したのかな? そんな思いで石段の途中で天守門を背景に記念撮影。 天守曲輪の入口の天守門は明治に解体されたが、平成25〜26年に浜松市によって現在地に復元された。

 天守門


浜松城は野面積みの石垣、もう一つは歴代城主の多くが後に江戸幕府の重臣に出世したことで出世城として有名です。 城の前身は引間城(曳馬城)で16世紀前半は今川氏の支配下にあった。 徳川家康公が1570年に武田氏の侵攻に備え、本拠地を岡崎城から引馬城に入城し、浜松城に改称。 さらに地域の拡張や改修を施行し城下町を拡大したという。

石垣と天守の大きさに違和感
観光客は断続的に訪れるが撮影には支障が無い。 三脚担いで天守曲輪を歩いて構図を探していく。 天守は鉄筋コンクリート製ですが石垣は当時のままです。 曲輪内を歩くうちに石垣の大きさと天守の大きさがちょっと違和感があると気が付く。 天守石垣の後方に余地があり築城当時は他に櫓が連なっていたと思った。
天守後方から撮影

天守門
天守と天守門

天守入口

ここから天守内の見学に入ります。 スリッパに履き替えて入城。 早速、妻が笑顔で登城記念の御城印を購入。 最初に天守台地下の井戸を見に行った。 大きさが1m以上あり籠城時の水源確保のための井戸です。 当時の井戸は石組井戸で周囲を石で組んで崩れないようにした。 復元する前に天守台の地下井戸が調査されたと記してあった。

具足の展示では左側が桶狭間の戦いで家康公が着用した金蛇美具足で全体が金で彩られている。 右は家康公が夢で見た具足を作らせ、兜に歯朶の葉形の前立が付いて歯朶具足と呼ばれる。

天守台地下の井戸 金蛇美具足(左)、歯朶具足(右)

徳川家康公の等身大像は2015年の家康公記念行事に製作された等身大像でその姿は手相や皺、毛穴まで再現された精巧な家康公像です。
兜甲冑具足は左側が江戸時代の大名が着用した兜甲冑具足で、右側は徳川家伝来の兜甲冑具足。
脇差は中でも康継二代の脇差は三葉葵の紋が入り一際、際立っていた。(赤枠)
鉄砲の伝来と大筒、中筒、短筒などの種類や用途、そして鉄砲の付属品の展示と説明があった。

等身大の徳川家康公の像

脇差が展示
兜甲冑具足

鉄砲の大筒、中筒、短筒の種類、付属品

陣馬織と陣笠
陣馬織は武士が陣中で鎧、具足の上に着用していたもので袖なしの羽織の一種です。 陣笠は薄い鉄や革で作り漆を塗って兜の代わりに使用したものです。
下方に上級武士の乗馬鞍、道中用の荷役馬の鞍や荷役馬具も展示してある。

他に江戸時代後期(天保年間)の浜松城と城下町が模型で再現されていた。 また展示ケースの中にも多くの展示物がある。
最上階に上がり浜松城の展望を楽しみ、何枚か撮影して天守を出る。

天守と石垣の余地の部分

■三方ヶ原の戦い…
家康公が武田氏に睨みを利かせる浜松城で、1573年武田信玄が上洛を始め、浜松城の危機が訪れる。 巧妙な挑発で家康公は戦いを挑んだが敗北を喫した。
天守門そばに朱の鳥居があり下方から撮影後、天守門内部に見学に行く。 内部は天守への表の防御部分で、狭い窓枠から反撃ができるよう工夫されていた。 反対側を出ると鳥居と神社に行かれる。
天守曲輪は天守閣の他に広い敷地があり、当時はここにも屋敷があったと思った。 一回りして天守門を出る。
天守門そばに大石垣が組み込まれ真田石と同じように大きい。


天守曲輪内部から撮影

天守曲輪の井戸


天守曲輪の広場

天守門の大石垣

天守門

天守曲輪の東側下に本丸があり、天守門から堤が伸びているその先端に向かう。 (天守曲輪の井戸側から降りる道があるが、そこには後程、合流した。) 向かった堤の先から天守曲輪を撮影。 全体を美しく見れる景観で桜の樹が多いから春は絶好の撮影スポット。

1586年(天正14年)、家康公は浜松城から駿府城に本拠地を移した。 以降、歴代の城主によって地域の改革が進められ、堀尾氏が城主の時に天守は無くなり天守台だけになった。 明治維新後に廃城され、1958年に鉄筋コンクリート製の復興天守が復元された。

天守と天守門 天守門
■本丸内を歩く…
天守曲輪の外側の堤から本丸に下りることができる。 そこには天守閣東側の本丸内に家康公像がある。 銅像は昭和56年に建立された。 本丸内も桜の樹が数多く植樹されている。

本丸内に家康公銅像
家康公銅像

本丸エリアは桜樹が多い
家康公銅像と天守曲輪

本丸エリア
本丸を出て一段下方に向かい南側から天守曲輪、本丸を周回していきます。 途中で天守曲輪の井戸から降りてくる道に合流。 その広場から天守が再び姿を見せてくれる。
美術館方向からの天守 美術館方向
浜松城公園に続く散策道になり、美術館手前で日本庭園への入口門があり、紅葉散策をする。 庭園は滝や池があり、池は深山式回遊型庭園でモミジや桜の樹が多かった。
日本庭園への入口門

太鼓橋
深山式回遊型庭園

深山式回遊型庭園

深山式回遊型庭園の太鼓橋で撮影時、観光客が連なりシャッターチャンスが来るまで待機。(これが長い時間を要した。) やっと観光客が移動して撮影再開。 撮影終了後、私の後方から次の撮影のグループが…。

この撮影は何かの撮影隊でした。 太鼓橋の欄干で着物姿の女性がいろいろなポーズで撮影している。 助手がレフ板をいろいろな角度で構え撮影している。 それを後方から数枚撮影。 撮影隊が移動後、やっと本来の太鼓橋の庭園を撮影した。 この間、20分を要した。

着物姿のモデル撮影中
 
待機して撮った映像
着物姿のモデル撮影中
庭園の出口門前で丁度、逆光だがモミジが映える場所を見つけた。 何枚か撮影して、記念撮影もする。 顔が逆光で真っ黒になるからストロボを使い、妻のお気に入りの映像が撮れた。ひと時、紅葉を楽しむ!





庭園の大銀杏




中央芝生広場のモニュメント

日本庭園から中央芝生広場前に到着。 この時間帯は子供連れが多く広場に点在していた。 子供達のはしゃぐ声が聞こえて微笑ましく思った。

最近は子供達の声がうるさいという人が多いと聞くが、その人達が子供の頃はそんな事は言われてないと思う。 自分のことしか考えない人が多くなった。 広場は市民のオアシスで浜松城を望みながらイベント等が開催されるという。 桜の季節は大いに盛り上がるでしょう!
駐車場に戻ると丁度11時過ぎ。 駐車場の喫煙場所で一服して一休み! 11時15分に駐車場を出発し、次の目的地「奥山方広寺」に向かう。

inserted by FC2 system