◆躑躅ヶ崎館跡◆ 躑躅ヶ崎館は甲斐国守護武田氏の居館である。もともと守護所が所在で国の史跡にもなって中世の城館跡として残っています。そこに武田神社が建立されたわけである。信虎、晴信(信玄)勝頼三代の60年にわたり府中として機能して広域の城下町を形成していました。

  AM8:00信玄の時代では所領が信濃、駿河、上野と大きく拡大したことにより、城下の拡大には限界もあったという。
勝頼が長篠の戦で大敗後は韮崎へ本拠を移転している。

館の絵図面からみると当時、大手門は右手で、武田神社の神橋はありませんでした。要害山は上手の方です。



明治時代になって武田神社の神橋が作られた


神橋から見た大手門方向の堀


神橋から西曲輪を見る


躑躅ヶ崎館の大手門跡


大手門跡から見る堀(南方向)


大手門跡から見る堀(北方向)


躑躅ヶ崎館跡から見上げる要害山…雨模様で見えません


躑躅ヶ崎館跡を要害山方向(北)から見る


躑躅ヶ崎館跡の西曲輪


さらに躑躅ヶ崎館跡の西曲輪から甲府駅方面に…


躑躅ヶ崎館跡西曲輪外堀から要害山方向を振り返る


躑躅ヶ崎館跡西曲輪外堀から西曲輪馬出し部を見る


西曲輪馬出し部


西曲輪馬出し部から神橋を見る


西曲輪と東曲輪の間の堀


堀の下部に石垣が使われています


馬出しから西曲輪の入口に残る石垣跡


西曲輪から要害山への出口を見る


この碑には吉田茂の名が彫られていました


西曲輪と東曲輪の間の堀(奥のほうは水はありません)


東曲輪から西曲輪を見る(両側に石垣が残っている)


武田時代の東曲輪の詳細

 
躑躅ヶ崎館跡内に武田神社があり、その周辺は当時の状況が残っています
足元がどろどろに汚れ、雨でさらにびしょびしょに濡れ、おまけに雑草の中を歩いたことで種まで貰って、靴の中まで濡れてしまいました。天気の良い日にもう一度来て周辺を歩きたいと思いました。


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